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The 授業リンク
The 授業リンク -梅沢先生の報告 - 了
- 2008-12-11 (木)
- The 授業リンク
◆
さらに複雑なCFEPの活動
CFEPの活動はさらに複雑だ。なぜなら、他の生徒と先生を巻き込んで突き進んでいくだけでなく、登場してくる様々なプレーヤー(先生<教務>、事務局、OB、外部の人たち、会、など)にどのように働きかけるかをちゃんと手順を踏んで選択していかなくてはならないからだ。
ロールプレイとロールモデルを臨機応変に組み立てながら、組織化しつつ、手順をふんでリスクマネジメントしていく。
まさに『組織構築・自律・マネジメント獲得系』の実践だ。
◆先生の意識
もし、CFEPのような活動に、先生が直接、間接に関わる場合は、どういうポジションに立っているかを意識することが必要になってくるかもしれない。
なぜなら、中高一貫校では生徒の「成長」は6年間という長い時間で全体俯瞰する視点が必要となる。
たとえば、
教室内<教科内<教科外<学年内<学年外<学校内<学校外(社会とのつながり)
と並べてみる。
生徒の置かれている状況に応じてどの立場で接するべきか。
ヒドュンカリキュラムとしてカリキュラム内で認知されているモノ・コトがあるなら、なおさら校内で共有されるべきだろう。
そうすれば、生徒自治組織やCFEPのような活動をサポートするとき機能的に働くと考えられるからだ。
◆生きていくための力
PISAで測る3分野(読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシー)は、「生きるための知識と技能」と捉えられている。
スコアもきっちりでて、相対的に自分がどのくらいなのか把握もできる。
が、「生きていく」のにそれだけやっていればいいというわけではない。「人とのつながり・組織・コミュニケーション」など、様々なリテラシーが必要だ。
単なる知識獲得や定型化された体験を与えるのだけではなく、不安定でいつどんなふうに変化するかわからない世界で生きていくための力。
それが、生徒が必要とする「生きるための力」であり、CFEPの活動はその一面を見事に担っている具体事例ではないだろうか。
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The 授業リンク -梅沢先生の報告 - ②
- 2008-12-04 (木)
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◆
『組織構築・自律・マネジメント獲得系』
CFEPの活動はすべてが新しいことの連続であり、そこで養われていくものは、
○「ロールプレイとロールモデル」を意識した『組織構築・自律・マネジメント獲得系』
になるのではないかと考える。
これは、先の3つの獲得系と同様にもともとカリキュラムには潜在的に存在しているものの、表現されていない場合が多いようだ。
言うなれば、“ヒドュンカリキュラム”になるのかもしれない
(※日本では“ヒドュンカリキュラム“はいい意味で使われているようなのであえて、そう表現しとく)。
◆『組織構築・自律・マネジメント獲得系』の具体事例
具体事例を紹介しよう。
ある学校で中3の生徒さんにインタビューをしたときのことだ。
その学校はできて新しいこともあり、生徒会が存在しない。
そのことについて生徒さんに「将来的にはつくりたいですか」と尋ねると
「私たちは今までこのスタイルで行ってきているし、それでうまくいっているので必要ないと思います。 そのときどきに応じて、誰かが立候補し中心的な役割を果たしてくれたら、それをサポートする側にまわれるわけですし。」
なるほど。
生徒会という一定の組織・人間に運営をまかせて受動的になってしまうのではなく、常に「考える」ことを選択し、その場その場で一人ひとりが臨機応変に判断していく(自律)。
生徒会をつくらないことによる自律した組織の構築(組織構築)。
個と集団・組織の立場をその時々に応じて使い分け、マネジメントしていく(マネジメント)。
まさに、『組織構築・自律・マネジメント獲得系』ではないだろうか。
◆先生の構え
こういう生徒の考え・動きに対して、先生方のほうは俯瞰姿勢をとっている。
たぶん、「じれったい。こうしたほうがはやいのに。。。」という場面がけっこうあるだろうし、生徒の側からしても「先生が指示してくれればはやいのに。。。」と思うことも多いだろう。
だが、決して早期解決で事を終わらせないのだ。
※その後、この学校は生徒による『生徒自治組織』という形で組織を構築しようとしている。
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The 授業リンク -梅沢先生の報告 - ①
- 2008-12-02 (火)
- The 授業リンク
第
一回の松田先生、第二回の池末先生では授業そのものの手法・実践紹介だった。
ただし、単なる教科内容の習得だけでなく、カリキュラムのなかでの位置づけやコミュニケーションの方法など生徒をどのように刺激するかのシカケが照らし出された。
3回目となるThe授業リンク、中村中学校 梅沢先生の発表は今までとは少し異なる内容であった。
(※今回、報告された活動はまだ現在進行形なので、ある程度の制約内で書くことに努めようと思う。)
◆カリキュラムでは語られない 「組織論・リスクマネジメント論」
梅沢先生が紹介したのは、生徒が行っているCFEP(Change Future Ecology Project)の活動報告。
詳細はこちら ⇒環境問題に取り組む生徒活動『CFEP』の実践報告 -想像を創造に-
これは、「教科学習、イベント・研修、部活や生徒会といった活動」の枠組み外の話である。
言うなれば、社会の縮図である学校で生徒自身が、「組織論・リスクマネジメント論」をどのように実践していくかに焦点があてられている(実際には、もっと壮大なのだがあえて、ここでとどめておく)。
この活動を通し、生徒は試行錯誤しながらも教科書通りではない世で必要となる力を身につけ「成長」していくのだろう。
◆「成長」=『スキル獲得系』+『経験値獲得系』+『適応・調整能力獲得系』+?
学校といえば「成長」という言葉がよく使われる。
身体的な成長もあれば、精神的な成長もあるし、人間関係における成長もあるだろう。
色々なことを内包して、「成長」と一言で表しているわけだが、どんな風に「成長」するのかを具体的に表現しているのが、パンフでありホームページであり学校説明会だったりパブリシティーだだったりする。
とはいえ、大半はカリキュラムについてそこで語られているのだから、カリキュラム=成長 になっているようだ。
で、私見だが、紙媒体やホームページで表現されている内容(カリキュラム)は、
○「教科・資格・プレゼン」など知識・方法からなる 『スキル獲得系』
○「研修・ワークショップ・イベント」など体験からなる 『経験値獲得系』
○「クラス編成・部活動・クラブ・生徒会」など組織からなる『適応・調整能力獲得系』
の3つに大別できる(かなり大雑把だが)。
この3つの割合や連動性、絡み合いが、各々、学校が表現する「成長」の色となる。
ところが、梅沢先生が報告された、CFEPの活動はどれにも属さない。
一見、『適応・調整能力獲得系』にも思えるが、自分たちでつくりあげていくため、単に、「適応」「調整」していくだけではだめなのだ。
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The 授業リンク 開催 -池末先生の授業 - (了)
- 2008-07-19 (土)
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◆
カードゲーム
さて、実際のカードゲームだがアイスブレーキングとの最大の違いは「ルール」だ。
つまり、既にお互いが持っている共通の知識を使うわけではなく、与えられた「ルール」のもとにゲームを進行させていくのだ。
おもしろいのは、段々と
個々のプレイヤーのロールプレイと「解釈」の違いが出てきてギャップが顕在化する
ことだ。そのギャップこそが社会の状態のモデリングであり、自分自身が参加することにより体感できるようになっている。
よく、地球規模の自然現象を身近なものにおきかえて再現・説明するようなテレビ番組や本はけっこうある。が、社会の状態を捉えて身近なものに置きかえ体感させようというのは意外と少ない。そういう意味ではとても効果的な手法だ。
(※最近、単発の「もしも」という番組を見た。あれは、自身では体験できないが疑似体験くらいにはなるのだろう。 ⇒ここ)
◆ゲームを単なるゲームにしてしまわないように。
カードゲームが「お遊び化」してしまう可能性もある。
それはカードゲームの手法をそのまま利用してしまうだけの場合だ。
手法は手法であり、それを行うことが目的ではない。重要なのは、一つ一つの手法に重きを置きすぎないことではないだろうか。ここの判断は運営者の責に因るのだろう。
池末先生自身もその場の状況に応じて臨機応変に手法を変化させていくといったのはそういう意味だろう。
◆PISAの読解力で考えてみると。。。
視点を変えて、今回の授業をPISAの読解力に照らし合わせて考えてみた。
PISAでは読解力を
「情報の確認」・「テキストの解釈」・「熟考・評価」
の3側面で捉えている(詳細は PISA 3側面とレベル 参照)。
今回の池松先生の授業のアイスブレーキング時・カードゲーム時ともに行われていたのは、
「情報の確認」と「テキストの解釈」
の2つだ。
つまり、アイスブレーキング時は共通知識と体を使って、カードゲーム時は与えられたルールのもとに「情報の確認」と「テキストの解釈」を同時に行っていたことになる。
過程としては、
(1)人によって「テキストの解釈」が違い、ギャップが生じる。
↓
(2)それを是正するために「情報の確認」を行う。(※但し、言葉・会話は使えないので、ていねいなコミュニケーションを行わなければならない。 )
「コミュニケーション」と一言でいってしまえばそれまでだが、どのようにそれを捉えるか。PISA の読解力を利用すると単純ではあるが、どのようなコミュニケーションを行っているか分解しやすい気がする。
◆事前事後。現在進行形。
それから、時間の関係もあるだろうが、体験・経験したフィードバックの時間があるとなお、おもしろいのではないか。
それは時間内の「質疑応答」という形で設けるのもありだろうが、ネット上にBBS(掲示板)でも設け、様々な意見交換と議論を「現在進行形」で進めていけばより血肉になるのではないだろうか。
例えば、前回の松田先生の授業は「情報の確認」と「熟考・評価」の2つに重きが置かれていると考える。
今回の池末先生の授業は「情報の確認」と「テキストの解釈」に重きが置かれていると考える。
ならば、例えば私なら、
○前回の松田先生の授業と今回の池末先生の授業を組み合わせたもの、すなわち「情報の確認」「テキストの解釈」「熟考・評価」の3つを含んだものが授業実践で可能なのか。
○それは1回の授業実践のなかで可能なのか。あるいは3回シリーズくらいにして組み合わせたらどうなのか。
○さらには年間のカリキュラムのなかのどこで行うのが効果的なのか。
のような投げかけをBBSに書き込み、フィードバックを聞いてみたい気がする。
上記はあくまで一例だが、そんな意見交換の場があると、今後も行われる”The 授業リンク”での授業実践がどんどんと加わっていき、バリエーション、授業の組み方、コミュニケーションのとり方・深め方に幅がでてくるのではないだろうか。
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The 授業リンク 開催 -池末先生の授業 - (2)
- 2008-07-18 (金)
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◆
ジェスチャーゲーム
ジェスチャーゲームといえば、人生初の海外経験となったホームステイ先でよくやった記憶がある。
まだ、留学するかも決めていなくて英語を話すどころか、辞書を片手に単語を並べて叫んでいた状態のときだ(笑)。
普段の会話もめちゃくちゃ苦労したが、同じくらいジェスチャーゲームでは悪戦苦闘したのを覚えている。紙とペン、身振り、手振り、声のトーンなどあらゆる手段を総動員だった(だが、これが普段の会話に慣れていくきっかけにもなった気もする)。
◆「解釈」の違い
印象的だったのは、時々、私が相手が意図したものと違う「解釈」をしてしまうことがあり、
「なるほど、そういうふうに考えるんだ。おもしろいねぇ。」
と言われたことだ。
その家族は4人構成でお父さんが生粋のアメリカ人、お母さんはイギリスから移民したイギリス人、息子さんは16歳でかっこいいサーファー、娘さんは10歳でとても活発なナチュラルブロンドと絵に描いたようなアメリカ家庭だった。
◆すりあわせ(共有)⇒ 議論
最近は違うかもしれないが、当時のアメリカ一般家庭ではリビングにジャーナル誌がおいてあり、それをネタに話し合いをしたりすることが一般的だった。常に活発にお互いの考えを語り合う文化だ(アングロサクソン文化かもしれないけど)。
ただ、その前提として共有している知識や経験にズレがないかをすりあわせる必要がある。
ましてや移民の国だからお互いの背景が違うことが「あたりまえ」(ゆえにそういう習慣が身についており、ジェスチャーゲームは日常のなかでもよく行われていた)。
ご多分に漏れず、私のホストファミリーもそういう文化をもった家庭だったので、私もすんなり入っていくことができた。言葉で伝えることは難しかったが「伝えたい・わかりたい」という気持ちがお互いあったので、意思の疎通はかなりできたのではないかと今も信じている(笑)。
◆アイスブレーキングはアイスブレーキング
話がそれてしまったが、アイスブレーキングで行われていた一つ一つの実践ネタはよくあるもので、「なんで、いちいちあんなこと。。。。」と捉えてしまうかもしれない。
しかし、アイスブレーキングはあくまで本番への導入。カードゲームがもつ「共通ルール」下での作業への誘いだ。
実践者がその流れや丁寧なコミュニケーションによる再認識の意味を理解していないとまったくのうわべだけのものになってしまい、アイスブレーキングとしての役割を失ってしまうかもしれない。ゆえに注意が必要ではないかと感じた。
◆私だったら。。。
池末先生自身がおっしゃっていたように、小学生・中学生・高校生では反応が違うんだろうなぁと想像できた。一度、ぜひみてみたいものだ。
それから、延長線上に同様のアイスブレーキングを
(1) 日本人だけで行う
(2) 他国籍の人だけで行う
(3) 最後に、混合して行う
という手順で実践できたら、おもしろいのでは。
少なくとも、「島国 日本」をより明確に感じることができるのではないかと考える。
以前にも書いたが(The 授業リンク -松田先生の授業 ①-)、日本人同士の普段のやりとりのなかで、国や文化や言葉の違いを明確に意識する必要がまったくないのだから、(1)~(3)の手順でそれを認識するのが分かりやすいはずだ。
◆具体例
上記の実践は無理でも、近いなぁと感じたのはある学校で行われている国際交流の一例だ。
その学校では国際研修旅行の日程にドイツの学校との国際交流が組み込まれており、バレーボールを行う。
|
見ての通り、所狭しの状態で日本人の生徒とドイツ人の生徒の4人の即席混合チームでリーグ戦が行われた。重要なのは、
○英語を多少しゃべれるかもしれないがほとんど言葉による意志の疎通ができにくい(つまり、言葉の封印によるディスコミュニケーション状態)。
○お互いに、バレーボールのルールは知っている(つまり、共通ルールの共有)。
この2つの状態はまさに、アイスブレーキング時と同じであり、「島国日本」では意外と実践できない丁寧なコミュニケーションを生徒さんたちは自然とすることになる。
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The 授業リンク 開催 -池末先生の授業 - (1)
- 2008-07-14 (月)
- The 授業リンク
◆
第2回 The 授業リンク 開催
先々週(2008年7月3日)、共立女子中学校で開催された「The 授業リンク」に参加した。第2回のThe授業リンクは共立女子の池末和幸先生の授業で、
「カードゲームを用いた国際理解 -『参加体験型』で授業を活性化- 」
だった。前回の松田先生とは違った経験をさせていただき、またもや楽しい時間を過ごすことができた。
授業内容は後に報告されるだろうから、今回も私なりに「感じたこと・考えたこと・疑問に思ったこと」をつづってみたい。
◆ コミュニケーションのギャップ
第一印象はプラグマティックな実践経験体験(背景)と緻密な計算から成り立っている授業で、「あたりまえ」としている日常のコミュニケーションを再認識させることにすごく長けているなぁと。
それもそのはず、池末先生が語られた自身の経験(プロフィールも含)を聞けば納得であった。
私も“場”こそ違え、他国で多種多様な背景をもつ人々とやりとりしたり、プロジェクトを組んだり、議論などを数多くしてきた。
そこで幾度も「あれ?」と思う経験をし、コミュニケーションの差異(ギャップ)を肌身に感じたものだ。
◆ディスコミュニケーションを利用したコミュニケーションの再認識
アイスブレーキング時、カードゲーム時ともに最大限に活用されていたのは、
「言葉・会話の封印によるディスコミュニケーション」
だ。言葉・会話を封印されるとジェスチャーや身振り・手振りなど様々な方法で一つ一つを丁寧に確認していくことになる。すなわち、コミュニケーションの再認識(再確認)だ。
例えば、アイスブレーキングの初めはお互いが持っている共通知識や体を使って容易に意思の疎通が行えるが、最後はジェスチャーゲームで多少、考えなくては疎通がとれないという流れ。
実に緻密に計算されている。
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The 授業リンク -松田先生の授業 - 了
- 2008-05-26 (月)
- The 授業リンク
◆
PISA的読解力のレベル
さて、いよいよ締めということで、最後に松田先生のジグゾー法の授業をPISAにあわせて私が提唱している読解力レベルで考えてみたい。
PISAの読解力はレベル1未満~レベル5まで6段階ある。
しかも、3側面(「情報の取り出し」・「テキストの解釈」・「熟考と評価」)それぞれレベル5まであり、どの側面のどのレベルでは何ができるかの指標が示されている。
(とはいえ、各問いのレベルは受検生の回答結果によりレベル分けされているのだが)。
上記にあるように、PISAの読解力では、3側面を一気通貫したレベルの名称がが示されていないので、それを加味した上で、私は以下のように提唱している。
(※なお、私立中学校の入試ではPISAを越えている問題が出題されているので、レベル6を設定している。)
PISA読解力に基づく、読解力のレベル
| レベル 6 | 創造的思考(Creative thinking) |
| レベル 5 | 批判的思考・評価思考(Critical thinking) |
| レベル 4 | 論理思考(Logical thinking) |
| レベル 3 | 情報の分類・照合(Matching) |
| レベル 2 | 情報の整理(Relating) |
| レベル 1 | 情報の確認(Scanning) |
※拙著、「世界標準の読解力 OECD-PISAメソッドに学べ」より。
◆ジグソー法 プロセスごとの読解力レベル
| (1) | 自分の社会的関心事を他人に伝えるためにポイントを3つに絞って用紙に記入。 |
| ⇒これは、自分の考えをシートに書いて、自分自身で レベル1の「情報の確認」を行っていると考えられる。 |
|
| (2) | 4人一組グループワークで自分のシートの情報を1分間で言う。 相手の言うこともメモをとってもいい。 |
| ⇒これは、自分のシートの情報を含め4人分の情報を整理することになるので、レベル2の「情報の整理」となる。 | |
| (3) | 不足分を質疑応答で3分間で言い合う 。 |
| ⇒分からない部分を補うという意味では、これも レベル2の「情報の整理」と考えられる。 |
|
| (4) | グループを変えて、前のグループ4人分の内容を1分間でまとめて伝える。 |
| ⇒これは、4人分の情報を「整理」しただけでは、1分間で相手に伝えきれなく、自分のなかで、情報を「分類・照合」する必要が出てくる。したがって、レベル3の「情報の分類・照合」と考えられる。 | |
| (5) | 同グループで4人の内容(つまり、16人分の内容)を3分間で議論 する。 |
| ⇒様々な話題のなかから共通点や差異を見出したりしながら、議論を進めていくことになるので、「情報の整理」と「情報の分類・照合」」の両方が必要とされるので、レベル4の「論理思考」と考えられる。 | |
| (6) | 元のグループに戻り、一連のワーク について「感じたこと・考えたこと ・疑問に思ったこと 」をお互いに話し合う 。 |
| ⇒「視点」に基づく批判的・評価的な考えが各々から述べられることになるので、レベル5の「批判的思考・評価思考」のプロセスまで到達しやすいと考える。 | |
| ⇒ただし、グループによっては、12人分の情報を4人が持ち帰ってくるので、その情報の多さに、話し合いがその情報内容そのものに集約してしまい、レベル4の「論理思考」で完結してしまうところもあったのではないか。 | |
| ⇒逆に、一連のワークと多様な情報を結びつけて、新たな視点や考え方を発送したグループもあるかもしれない。それはもうレベル6の「創造的思考」といえるのではないだろうか。 |
あくまでも、これは私の考え方なのでそこはご了承いただきたい。
また、松田先生のジグソー法を一度、体験しただけで100%理解したとは思っていないので、NTS教育研究所のHPから購入してみようかと考えている。
|
著者 松田孝志 |
※レベルの解説・詳細を知りたい方は、拙著をご購入いただき、「私立中学入試問題の解答・解説」ページ(P146~)を読んでいただけると理解していただけるのではないかと。
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The 授業リンク -松田先生の授業 - ④
- 2008-05-23 (金)
- The 授業リンク
◆
リードとドッグラン
サブタイトルとなっている、「リードからドッグランへの試み」。
これは人によってどのようにとるか様々だろうが、一つだけ言えるのはワークショップ内だけでは完結していないこと。
つまり、生徒に対して行われる松田先生のジグソー法の授業はなにも1回だけではないだろう。年間のカリキュラムの流れのなかでの位置づけもしっかりあることが前提だ。
それから、個々の興味や関心、チームメンバーやトピックによってもリードからドッグランに変わるタイミングは違うだろう。
そう考えれば、何もあの1回の授業のなかだけで「どこがリードでどこがドッグラン」というタイムスケジュール的な区切りで考えるのは難しいのではないか。
◆居場所づくり
居場所とはなにも一蓮托生、呉越同舟的である必要はまったくない。自分の興味や関心が高まれば、自分のなかに居場所が生まれる。
そうすると自然と、自分と他者との差異が認識でき、なおかつお互いが尊重できるようになり、教室という空間内にそれぞれの「居場所」ができる。それが「居場所づくり」ではないだろうか。
そんなことをワークショップに参加しながら感じた。
◆汎用性
気になるのは、汎用性。つまり、タイムスケジュールにしたがって松田先生が行ったとおりにジグソー法の授業を他者が実践してもうまくいかない場合も出てくるのでは。
※肖像権のこともあるのでボカしております。ご了承ください。 |
松田先生自身もおっしゃっていたが、場や様子や空気を読みながら臨機応変に対応していくことが実践する側に必要となる。
つまり、「阿吽」だ。
「阿吽」とは違うコミュニケーションスタイルを身につけてもらうために、
リードする側には「阿吽」のコミュニケーションスキルが必要とは言い得て妙(笑。。。
関連リンク
学び野[31]なぜ松田先生の授業がターニングポイントなのか③
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The 授業リンク -松田先生の授業 - ③
- 2008-05-22 (木)
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◆
PISAの読解力
言わずもがなであるが、OECDが2000年度より実施しているPISA(学習到達度調査)で、日本の読解力が低下していることは周知の事実。
経済活動や社会の仕組みが日本国内で完結し機能しているのであれば、実はなんら気にする必要がない。でも、そうではたちゆかなくなっている事情があるから“世界標準”に位置するPISAを気にする。
教育の現場でもそれを意識した授業実践が行われていたりする。例えば、読売教育ルネサンスの
という記事ではマイクロディベートの実践が詳細されているが、行っている加々本裕紀(ゆき)教諭によれば、
「説得力とは、強い語調などではなく、明確な結論、客観的な根拠、論の一貫性であることを、説明しなくても生徒たちが理解している」
という。つまり、土台が既にあるから成り立つ。
ちなみに「説得力」は英語で「persuasion」。
これは、ディベートであろうと論文であろうといつでも「キーワード」として大学の授業ではつきまとっていた。基本なのだ。
◆ジグソー法の意味
個人的な経験からだが、「説得力」の論理的展開をするための土台を「阿吽」のコミュニケーションだけから「意識化・明確化・見える化」するのはなかなか難しいと感じる。
だが(「説得力」に限らず)、お互いに物事を伝え、理解し、話し合うときに、バックグランドが全然違う状況下でさえ通じる共通のフォーマットがあればそれに即して進めていける。
そういう意味ではジグソー法のようにプロセスを見える化した方法論はわかりやすい。つまり、日本人が対象でなくとも決められたルールと手法のなかで行えば成立してしまうのだから。
特にルールに「短時間で切る」ことが多々あったが、あれもESLでは普通。
短時間で切ることによって「優先順位」と「視点」と「もっと語りたいというモチベーション」をあげることができ、なおかつ共通のフォーマットを共有することができてしまう。
もし、一人一人の言いたいことを時間制限なしに言い尽くすまで行っていたらチーム内のコミュニケーションのウェイトバランスが崩れ、グループワークの意味も薄くなり、コミュニケーションから発生する新しい発想は生まれづらくなってしまう。
またチーム内で自然と発生するロールプレイが予想通りのものになってしまい、各々メンバーが「あれ、この人、こんな一面もあったのか」という発見にもつながりにくい。
ゆえに、ジグソー法の方法論はきっかけとしてはとても効果的だと感じる。
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The 授業リンク -松田先生の授業 - ②
- 2008-05-21 (水)
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◆
阿吽とKY
「むかし阿吽で、いまKY」
端的にコミュニケーションの変化を川柳っぽくしてみた。
やっぱり、昔の日本のコミュニケーションは「空気」を読むことに長けていたのではないだろうか。
それは、欧米型とは逆に島国であるがゆえ、独自の文化を色濃く持つがゆえ、単一民族国家であるがゆえ形成された、世界でも評価される日本のコミュニケーションスタイルだと考える(もちろん、他にも複雑な要素が絡み合っているのは承知のうえで)。
冒頭、川合先生の開会挨拶にあった「軍事力より教育力」とはこれがベースにあったのではないか。
◆グローバリゼーションとコミュニケーションスタイルの変化
ところが、いい意味でも悪い意味でもグローバルになり、その原動力となっている経済活動のタイプは欧米型。
当然、それにあわせて日本の経済活動スタイルも変化し、マネジメントやコミュニケーションのタイプも変容する。
つまり、国や文化や言葉や人種が違う環境で育った人が考えた手法論に、あわせようと努力しているようにも感じる(熾烈なグローバル競争に勝ち抜くには仕方ないか)。
ということは、日本人が得意とする「阿吽」のコミュニケーションから国や文化や言葉の違いを明確に意識した環境下で構築されたコミュニケーションスタイルへの変化がどんどんと進行しているのではないだろうか。
とはいえ、いきなり移行できないギャップから「KY」という言葉も生まれたのではと漠然と感じたりもする。
◆コミュニケーションの意識化・明確化・見える化
では、そのコミュニケーションスタイルとはどういうものか。
意識化・(視点の)明確化・見える化
ではないかと、自身の経験から感じている。
これはなにも留学体験だけからではない。
SEとして働いていたとき、毎日、米の技術者にトラブルの解決方法をなげるメールを案件ごとに何通も出し、お互い齟齬や抜けがないかを確認しながら作業をすすめていき、最後の最後で必要とあらば音声通話して解決したり。。。
そんなことを粛々と続けていくうちに、日本語で日本人に出すメールとは違うなと気づくことが多々あった。
また、チームメンバーからメールの英訳を頼まれる際にも、内容を一読して
「これってこういうことですか?」
「こう言い換えても同じ意味ですよね?」
と尋ね返すことが日常となっていた。日本人の感覚のままで直訳で送った場合に、通じない場合が多々あったからだ。
だから、コミュニケーションの「意識化・(視点の)明確化・見える化」が必要なのだなぁと痛感したのだ。
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